市内回りに学校町へ行くことがありますが、そこに川上四郎さんの童画の銅像が何点かあります。是非ともご覧戴きたいです。そこで、川上四郎氏を紹介します。川上四郎氏は1889年、新潟県古志郡上組村大字摂田屋(現長岡市摂田屋)の豪農であった川上半四郎(通称「川半」)の四男として生まれました。
兄の川上漸は医師で慶應義塾大学医学部教授(病理学)を務めた方です。新潟県立長岡中学校を経て、1913年東京美術学校西洋画科卒業され、静岡県立榛原中学校で美術教師を務めました。1916年コドモ社に入社しコドモ社が創刊した雑誌「童話」に挿絵を描きました。以後各種の雑誌に表紙画や挿画を描いています。晩年は新潟県湯沢町に在住し1983年に逝去した。
「童画」という言葉は、「児童画」と混同されてきた側面もあるそうですが、大正7年(1918)“赤い鳥児童画文学運動”昂揚の中で、小川未明などの「童画」や北原白秋、西条八十、野口雨情らの「童画」などに対応して、確立されてきた近代絵画の一部であり、その意味で純粋素朴の童心を基調とした絵画性、文学性、詩情・物語性とが渾然一体となった絵画です。(頓)
川上四郎略暦(『ふるさと長岡の人びと』より)
明治22(1889)年 11月16日、新潟県古志郡上組村摂田屋(長岡市摂田屋)川上半四郎の四男として出生
明治34(1901)年 旧制長岡中学校入学
明治41(1908)年 東京美術学校西洋画科へ入学
大正 2(1913)年 静岡県の榛原中学校教師実科女学校教諭
大正 5(1916)年 コドモ社入社
大正 6(1917)年 独協中学校教員
大正 9(1920)年 コドモ社から「童話」創刊。以後表紙画・挿画を描く
大正10(1921)年 浜田広介「椋鳥の夢」装丁。以後装丁を多く手がける
大正11(1922)年 絵雑誌「コドモノクニ」創刊
大正15(1926)年 「少年倶楽部」「少女倶楽部」にたびたび執筆
昭和 2(1927)年 第1次日本童画家協会結成に参加
昭和17(1942)年 第2回野間挿画奨励賞受賞
昭和45(1970)年 久留島武彦文化賞受賞
昭和58(1983)年 12月30日、死去

